


猪目洞窟から走行すること20分くらいで到着です。駐車場に車を停めて 徒歩で向かいますよ。



徒歩で向かう際中、こういった絵が書かれた看板が複数ありました。
智春上人
信濃の神僧智春上人は遊化して伯州北の浜で迎えに来た智尾白滝旅伏の三翁の船に乗り
旅伏山に着き「コゾノケフ 詠メシ月ハ カハラネド コヨヒダビフス 空ニ充カナ」
と詠し翌日、現在の蔵王の滝にて釈迦文より名を受けて開山した。
時に、推古天皇二年(594年)であった。


❖ 慈覚大師 円仁
延歴13年下野国に産まれ、15歳で比叡山に登り伝教大師最澄の門下となる。
承和5年(838年)入唐、同じく14年北九州太宰府より山陰を巡化して帰京。
その途中鰐淵寺において、薬師如来、千手観音の2体の像を刻んで本尊とし、法華堂
、常行堂を建立。三台杉は大師のお手植である。


❖ 武蔵坊 弁慶
仁平元年(1151年)現在の松江市に産まれた弁慶は、18歳にて鰐淵寺に入り、3年間修行した後
比叡山に登り、京都五条大橋で牛若丸と出会う。鰐淵寺には弁慶自画像、背負い櫃などが残っており、
硯水、袂石、籠堂などの奇跡がある。大山寺の銅鐘と一夜にしてすり替えたという「提灯(ちょうちん)
と釣鐘」の伝説で有名な銅鐘は、国の重要文化財である。


いきなり出てきた紅葉。

綺麗ですね~。色鮮やか。

❖ 頼源(らいげん)
元弘二年、後醍醐天皇隠岐遷幸(せんこう)のおり、長史頼源は隠岐国分寺御所に
伺候(しこう)してご宸筆(しんぴつ)の願文を賜った。その後六波羅西門の戦いに軍功を立て
建武中興(けんむちゅうこう)後、執達状を貰った名和長年等と力を合わせ南朝の為に尽くしたが
貞治五年、淨達(じょうたつ)上人へ譲文(ゆずりぶみ)を最後に歴史の舞台から退いた。

❖ 栄芸
永禄年間に毛利元就が尼子氏を降ろし滅亡させた際、かねてより元就と親交のあった和だ房栄芸
はその攻めに助力を惜しまなかった。後の天正五年に孫(輝元)はこの栄芸の功労を愛で大壇主となって
本堂を再建した。


❖ 八百屋 お七
1682年 江戸本郷の火災の時、お七は若衆小野川吉三郎に出会い、激しい恋情を抱いた。
お七は吉三郎が忘れられず逢いたい一心で天和3年放火、火刑となった。
吉三郎はこれを悩み出家してお七の遺骨と供養に全国の寺院を行脚、鰐淵寺で行き倒れになった
と伝えられる。


お!?門が見えてきました。
